島唄、つづき・・・

島唄、つづき・・・


デイゴの咲く季節に始まり、デイゴが散ると供に終結した沖縄戦・・・。

前回のブログにお寄せ頂いたコメントにドキリとする行(くだり)がありました。


「沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ 」




これは、当時の海軍沖縄根拠地隊の司令官、

 大田 実 少将

が、海軍次官宛に打った最後の訣別打電(電報)の末尾の言葉です。

訣別打電とは、部隊司令官名で発する、その部隊の終焉消滅を意味するものですが、
当時の訣別電報の常套句だった、

「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」

などでは無かった事に、注目しなければなりません。大田少将(のち中将)は何故、このような当時の軍隊では有り得ない訣別文を送ったのでしょうか?

あ、その前におことわりを。

え~、いつものオチャラなブログとは違い、少し重たい内容ですので退屈される
かも知れませんが、ご容赦下さいね。あ、今回はネコはお休みです・・・。

なんか軍隊色の濃い、右寄りに染まった人のブログみたいな冒頭になってしまいましたが、決してそんな事はありませんのでご安心を。


さてさて、それでは本題へ。

まず、この大田少将(以下太田さんにしますね(^^))が率いた海軍沖縄根拠地隊の説明から・・・。

そもそも、太田さんは海軍に於ける陸戦の権威で、かの有名な「ミッドウェー海戦」でも上陸部隊の司令官でもありました。この時は、皆さんご存知のように上陸する以前に味方部隊が壊滅してしまいましたので、実戦にはなりませんでしたが・・・。その後、南方最前線を転戦した後、沖縄守備を任されます。しかしながら、「沖縄根拠地隊」という名称が象徴するように、この海軍陸戦隊の約一万名の隊員は飛行場の整備運営等々の後方支援が本来の目的であり、当然充分に戦闘訓練を受けた兵達ではなく、武装も脆弱なものであったのです。米軍上陸後、飛行機用の機銃を改造して使ったそうですから、押して図るものがあります。

そのような状況ですから、太田さんは部隊の大半を陸軍の指揮下に置き、激戦を戦って行きます。そして、戦局も終盤に向かった頃、陸軍総司令部からの指示命令も不明瞭になっていた事とその解釈の取り違いから、太田さんの司令部は孤立してしまいます。

孤軍奮闘の末、残念ながら、太田さんは司令部に於いて拳銃自決します。冒頭の電文はその直前に打電されたものです。

実はこの電文には長い前文があります。wikiからの引用ですが、原文を載せますので宜しければ読んでみて下さい。(以下引用)


発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ


(引用終わり)




重複しますが、読みやすい解釈文も載せておきます。(同じくwikiからの引用)


海軍次官宛の電報(現代訳)
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女性は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。


食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。



(引用終わり)


・・・・・・何故?

何故、太田さんが他の訣別電のように、己の部隊の奮闘振りや実状を訴えなかったのか?

何故、全ての内容が沖縄県民に対する懺悔と賞賛に当てられたのか?


・・・さて、皆さんはどう受け止められたでしょうか?

当時の陸軍と海軍の気質の違いははっきりとしておりました。融通の利かない頑固な陸軍に対して、割と柔軟でスマートな海軍といった感じでしたが、云わば「私情」とも受け取れる内容の通信文を大部隊の訣別電に使用した例はありません。しかも、ただの一文字も自分の部隊の事に触れていないのです。

私は、この時の大田さんの心情を思い図る度に、胸が熱くなり涙が溢れます・・・





この記事は、沖縄在住の方には当たり前過ぎて、「何を今更・・・」的なところもあるのですが、前回のブログからの流れで、少し熱く語ってしまいました。

え~、これ以上私がたらたらと書く事も気が引けますので、以下のWEBページを紹介して終わりにしたいと思います。


  旧海軍司令部壕資料館WEBページ







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~ Comment ~

1 ■こんばんは。

日本が戦争に負けたとは言え
沖縄に特別のご配慮どころか
未だに重い負担を押し付け過ぎです。
在日米軍基地は必要だけど
自分の住む街にはいらないでは全く筋が
通らないと思います。

2 ■Re:こんばんは。

>JOKERさん
いつも真摯なコメント有難うございます。
大田さんがこの電報を打った時、彼はまだ日本が無条件降伏をするなど恐らく微塵も思ってなかったはずです。ご自身の自決後、何とか県民を救済して欲しい・・・と言う強力なメッセージは敗戦、占領によって跡形も無くかき消されてしまいました。もし、敗戦がまだまだ先の事で、日本国に何某かの余力が残されていたとするならば、彼の言う幾許かの「御高配」が実現されていたかもしれません。誠に残念です。
さて、米軍基地についてですが、ご存知のように横須賀にも、厚木にも、横田にも、三沢にも、岩国にも、全国各地に存在する基地は、全て規模の差こそあれ同じ時期に米軍の進駐により作られたものです。違うのは国内で起きた対連合国との地上戦が唯一沖縄で展開されてしまったと言うことです。結果、おびただしい数の沖縄県民が亡くなり、戦後も一万人を越える婦女子が米兵により蹂躙され、略奪や凶悪事犯に晒され、沖縄自体がアメリカに接収されてしまいました。ここが他の米軍基地との決定的な違いであり、解決の糸口が見つからない原因でもあります。忘れてはいけないのは昭和47年まで、沖縄がアメリカ領であったことです・・・。日本国は沖縄には何も手を付けられない状態でした。もちろん、返還後もアメリカの強い影響下にあり、また近隣国とのパワーバランスの変遷も考慮され、益々複雑な構造となっております。JOKERさんには語弊があるかもしれませんが、沖縄の基地は単純に押し付けという概念、及び感情論だけでは図る事のできない難しさがあります。本当に複雑ですよね・・・。

長くなってゴメンナサイ。今日はこの辺で・・・。

3 ■こんにちは

この言葉がやがて沖縄族の議員、山中貞則さんに受け継がれ復帰特別措置につながっていきますね。

島唄と沖縄戦の記事を今書いていますが長文になりそうです。

週末にはアップしたいなと考えています。よければお読みください。

4 ■Re:こんにちは

>ラクマさん
コメント有難うございます。
山中さんの熱い情熱が、少し及び腰であった時の首相、佐藤栄作氏を動かしたのは間違いのない事実ですよね。
もしも、ノーベル平和賞に「実務部門」があるものなら山中さんが受賞していたのでは?なんて思ってしまいます。
あ、沖縄についてはもっともっと沢山書きたい事があるのですが、また改めて・・・。

ラクマさんの沖縄戦の記事、楽しみです。
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